小さな宝石箱 011 - 横浜・馬車道まつり 2016 New Work
Bashamichi Festival in Yokohama, 2016 - series 'a Tiny Jewel Box' 011
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11月3日、「馬車道まつり」に行ってきました。馬車道通りのあちこちで、文明開化の頃の横浜の様子を再現しています。
人気は鹿鳴館時代の衣装を身に着けた淑女たち。大勢の男性カメラマンに囲まれていました。馬車や人力車の試乗には子供連れの長い列が! 「馬の博物館」から来た希少種の「ゆきちゃん(道産子)」や「ミカンちゃん(野間馬)」と並んで写真を撮ったり、手作りのものを並べた出店、路上コンサートなど、楽しい催しが沢山ありました。
馬車道は、西洋文化が真っ先に導入された先進の地でした。日本初のガス灯がともり、近代街路樹発祥の地として、柳と松が植えられました。アイスクリンと呼ばれていたアイスクリームもここから広まりました。また写真館など、新しい時代のハイカラな街であったのです。
この界隈の土地の名前からも当時の様子が窺えます。
- 「関内」という名の由来
- 幕末の横浜港開港に伴い、多くの外国人たちが港の近くに住み始めました。そこで政府は港近辺の外人居留地を掘割で囲み、その入り口にある吉田橋に関所を設けたのです。そして、その内側(海側)を関内居留地と呼んでいました。その名残で今でも「関内」という駅名が残っています。(伊勢佐木町側は関外と言いました)
- 「馬車道」という名の由来
- この道は吉田橋と港をつなぐ道の一つとして作られました。そこを異人さんが馬車で行き来していたのを珍しがった人々が、「異人馬車」と呼んだことから、「馬車道」と呼ばれるようになりました。
なお、この界隈には「キング」「クイーン」「ジャック」と呼ばれる歴史的にも貴重な建物が揃っています。順番に神奈川県庁、横浜税関、開港記念会館です。船が港に入って来ると、この3つの建物の屋上にそびえ立つ塔が、横浜のシンボルとして真っ先に目に入ったのだそうです。
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